小笠原再訪
2023年7月 再び小笠原へ
去年の宿題、「マッコウクジラと会う」「星を見る」の二つを達成するため、再び小笠原へ。
竹芝桟橋で荷役中の、おがさわら丸(11,035トン)
旅客定員892名の貨客船。
空港は無いので、片道24時間の船旅しか方法がない。
国内において、カーフェリー以外の3,000トンを超す貨客船は、東京都を発着する航路しか残っていない。
コンテナも荷物としての車もデリック(クレーン)で積み込まれる。
5デッキの後部はコンテナ搭載スペースとなっている。
銅鑼が鳴って、ロープが外される。いよいよ出航である。
小笠原村観光局の公式キャラクター「おがじろう」は、竹芝桟橋で毎回(週一回)見送ってくれる。
おがさわら丸は、タグボートを使わず自力で離着岸するため、横向きのプロペラ(サイドスラスター)が、船首に2個、船尾に1個ついている。
おがさわら丸は、後進で出港し、豊海埠頭沖に入り、前進に切り替えてレインボーブリッジを抜ける。
世界有数の規模を誇る大井コンテナ埠頭。
岩壁の長さは2,350メートルで、全長200メートルを超える大型コンテナ船が同時に7隻泊まる事ができる。
去年の乗船時には、ここに砕氷艦「しらせ」が停泊していた。
羽田空港が近くなると、離着陸の旅客機がひっきりなしに頭上を飛ぶ。
東京湾には作業船がたくさん走っている。
ターミナルは、JAL側の滑走路から飛ぶANA機と、ANA側の滑走路路から飛ぶJAL機。
アクアラインの排気口。前回よりも遠い。
川崎工業地帯の後ろにはうっすらと富士山が見える。
川崎工業地帯と、横浜みなとみらい。左には横浜ベイブリッジも見える。
背景にはうっすら富士山。
ゆっくりと東京湾を進む。
住友重機械工業の造船所。ちょうど東海汽船の「さるびあ丸」が係留されていた。
海堡は、明治から大正にかけて東京湾要塞として整備された人工島。
島にはカノン砲が設置されていた。
第三海堡まで作られたが、第二、第三海堡は、東大震災で致命的な損害を受けて廃止。
第一海堡は、太平洋戦争の終了まで使用された。
三つの海堡のうち、最も富津側に位置する第一海堡。
浦賀水道上空を2機のオスプレイが飛んでいた。おそらく自衛隊ではないかと思われる。
ひときわ存在感を放つ、久里浜の火力発電所。
東京海洋大学の練習船「汐路丸」が航行していた。
全長60メートル、775トン。
全長133メートル、満載排水量5,500トンの護衛艦。
横須賀基地所属であれば、「もがみ」か「くまの」である。
18:30 八丈島沖を通過。
曇っていてよく見えないが、特徴的な二つの山が見える。
だんだんと暗くなってきた。
展望ラウンジ「haha-jima」横の通路より。
夜通し、伊豆諸島に沿って太平洋を進み続けた「おがさわら丸」。
天候悪く朝日は望めず、雨が降ってきた。
太平洋を進む「おがさわら丸」。
海の色がだいぶ青くはなってきたが、時折、陽が差すも、なかなか晴れず。
日本無線製の船舶用レーダーが回転している。
少々揺れがあり、時折波しぶきが上がる。
小笠原諸島に入り、婿島列島が見えてきた。
湿度が高く、前回ほどはっきりとは見えない。
船がこのあたりに差し掛かると、カツオドリが飛来してく来る。
父島列島が見えてきた。
左に少し見えるのが孫島。その右は一見ひとつの島に見えるが、弟島、兄島、父島の順で並んでおり、父島の手前に西島が見える。
父島以外はすべて無人島。
今回は「ESCORT」さんの船が出迎えに出てきてくれた。
嬉しい歓迎である。
二見湾が見えてきた。
間もなく到着する。
20分遅れの11時20分に、父島二見港に到着。
700人を超す乗船客が下船するため、とても賑やか。
迎えに来てくれた宿の人と合流。
天気は芳しくない。
コンテナの搬出が始まっていた。
30分後の出航を控え、「ははじま丸」がコンテナを搬入中。
「おがさわら丸」から降ろされた母島行きの荷物は、すぐ後ろに停泊する「ははじま丸」へ積み込まれる。
二見港には、「共勝丸」が停泊していた。
全長64.64メートル、325トンの貨物船だ。
食品や資材の他「おがさわら丸」では運べない燃料や、廃棄物などを、東京、父島、母島に不定期で運んでいる。
おがさわら丸と比べると鈍足な為、東京父島間は、48時間程度かかる。
乗務員船室の他、数名が乗船できるキャビンがあり、以前は旅客の取り扱いもあった。
(今は行っていない)
ウェザーステーション展望台へ行ってみるも、天気はイマイチ。
南の方角に、うっすらと母島が見えた。
人口2,000人強の父島に対し、800人が乗船できるおがさわら丸は、ひときわ大きい。