Conciergerie
2017年9月、パリ、シテ島にあるコンシェルジュリーへ。
サント・シャペルと同じ、パリの司法宮、パレ・ド・ジュスティスの一部である。
コンシェルジュリーとは、「守衛のいる場所」意味を意味し、1934年まで牢獄として使われていた場所。
かつてのフランス王妃である、マリー・アントワネットも1793年8月2日から、処刑される10月16日までの2ヶ月半をここで過ごした。
コンシェルジュリー前のパレ通り(サン・ミシェル橋方面)
コンシェルジュリーの外観
6世紀から14世紀にかけて、シテ宮殿としてフランス君主の居城であった。
王が居城を移してから、牢獄として使われるようになった。
衛兵の間
1302年に建設された、ゴシック建築の代表
牢番の部屋が再現されている
囚人たちの礼拝堂
フランス革命期は、雑居房としても使用され、マリー・アントワネットもここに収監された。
マリー・アントワネットの身の回りの物
牢獄で使用した服と、処刑前の最後の水を飲んだ水差し
「女達の庭」から空を見上げる
女性囚人の独居房に囲まれ「女達の庭」と呼ばれる中庭。
死刑囚を断頭台へ運ぶための荷馬車を待った場所。
マリー・アントワネットもここから、コンコルド広場へ向かった。
76日間のコンシェルジュリーの拘留。最後に見たのは、こんな空だったかもしれない。