旧市街広場へ
2015年10月 プラハ滞在の3日目
昼食を取った「ナシェ・マソ(Naše Maso)」を出て、町並みを楽しみつつ、旧市街広場へ向かう。
(昼食は「お肉屋ランチ」を参照)
特徴的な外観の建物を眺めながら、ドロウハー通りを500メートル程西に歩くと、旧市街広場に出る。
旧市街広場は、プラハ歴史地区の中央に位置し歴史的な建物が並ぶ。
セグウェイツアーや、大道芸人が目を引き、大勢の観光客で賑わっていた。
北側から広場に入ると、まず目に入るのが、ボヘミアの宗教思想家「ヤン・フス(Jan Hus)」の像だ。
ヤン・フスは、研究者としてチェコ語表記法を考案。宗教改革者として当時の堕落したローマカトリック教会を批判し、異端者扱いされ1415年に火炙りにされた。
没後、フス戦争と呼ばれるカトリックとフス派(プロテスタント)の戦いが始まる。1419年から1415年の17年間続いた戦争は、フス派の敗北で終った。
フスの記憶は、人々の記憶から消えていく。
19世紀になり、チェコの民族意識の高まりから、過去にカトリックを相手に戦ったフスが英雄視されるようになり、1915年に、没後500年を記念して、この像が建てられた。
彼が最後に残したと言われる言葉、「真実は勝つ(Pravda vítězí)」は、チェコ人の間に広がり、1920年に国の標語となった。
共和国大統領紀にもその言葉が記されている。
ちなみに今年は、没後ちょうど600年である。
「ティーン教会」は、高さ80メートルの2つの尖塔が特徴的だ。
12世紀に建てられ14世紀に、バロック様式へと改築されたこの教会は、手前に建物があり直接入り口を見る事ができないようになっている。
もとは、フス派であるプロテスタントの教会だったが、17世紀に起きた三十年戦争のビーラー・ホラの戦いの結果、ローマカトリック教会に変えられてしまい、怒ったフス派の人々が教会の入り口を塞いだ。
今でも広場から入り口を見ることはできない。
14世紀に建てられた「旧市街市庁舎」は、70メートルの塔があり、塔の南側には「プラハのオルロイ(Pražský orloj)」1410年に作られた天文時計がある。
天文時計は、時計職人のミクラシュとカレル大学教授のヤン・シンデルによって製作された。
・「天文図の文字盤」、
・「使徒の行進」と呼ばれる人形の仕掛け
・「月々を表す浮き彫りの暦版」
の3つの主要な部分がある。
これらは、修理を繰り返しながら605年間動き続けている。
その他、広場近郊の風景。
グランド ホテル プラハのカフェの窓からは天文時計を眺める事ができる。
旧市街広場は、とても歴史的価値の高い場所だが、あまりの観光客の多さに圧倒された。
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