Palais de Versailles
2017年9月 パリ滞在二日目 ヴェルサイユ宮殿へ。
ようやく、ここに足を運ぶ事ができた。
パリ北駅(Paris-Nord)から1時間、ヴェルサイユ・シャトー・リヴ・ゴーシュ(Versailles Château Rive Gauche)駅へ。
ヨーロッパ通りを3分程歩き、パリ通りを左折すると、400メートル先にヴェルサイユ宮殿の中央部分が見えてくる。
パリ通りよりヴェルサイユ宮殿を望む
すでにここからヴェルサイユ宮殿は始まっている。
ルイ14世の騎馬像
正門
国王の前提と、閣僚の前提を隔てる門
ルイ14世の像から300メートル歩き、ようやく辿り着く
正門より国王の前庭
中央奥に、ヴェルサイユ宮殿で最も古い建物、ルイ13世の小城館が見える。
かつて、ここに国王が住んでいた。
アルドゥアン=マンサールの新礼拝堂
コリント式の円柱が立ち並び新古典主義に向かうインテリア
ロベール・クリコ作のオルガンは、通常の礼拝堂の作りでは、入口上方に設置される事が一般的だが、
その場所には王の席が設けられたため、祭壇上方に設置された。
北翼棟一階廊下
アルドゥアン=マンサールの新礼拝堂
北翼棟二階、礼拝室の間より
ヘラクレスの間
ヘラクレスの間の暖炉と装飾
ヘラクレスの間、ライオンの装飾
腐食した、窓の冊子
豊饒の間
「ルイ16世の娯楽の間」とも呼ばれる。かつてルイ14世の貴重な所蔵品が置かれていた。
ヴィーナスの間、天井画
中央は、ルネ・アントワーヌ・ウアス作「神々と強大国を帝国に従わせるヴィーナス」。
ヴィーナスの間、ジャン・ヴァラン作「ローマ皇帝姿のルイ14世全身像」
ディアナの間、天井画
ディアナの間、装飾
マルスの間、ルイ15世の妃マリー・レクザンスカの肖像
メルクリウスの間、からくり時計
時計技術者のアントワーヌ・モランが1706年にルイ14世に献上したからくり仕掛けの振り子時計。
18世紀から置かれており、この部屋は「置き時計の間」とも呼ばれる。
メルクリウスの間、盛儀寝台
1700年11月、スペイン王フィリペ5世となった、ルイ14世の孫、アンジュー公フィリップが、出発前の数日間用いた。
また、1715年に、崩御したルイ14世の遺体が安置された寝台でもある。
戦争の間
アントワーヌ・コワズヴォックスの浅浮き彫りが施された暖炉
鏡の回廊
1686年に完成したこの部屋は、盛装舞踏会や仮面舞踏会などの大きな祭典も行われた。
天井には、シャルル・ル・ブランによる、オランダ戦争、フランドル戦争に焦点を当てた、ルイ14世の治世の歴史が描かれている。
鏡の回廊、大燭台
1770年の、ルイ16世とマリー・アントワネットの成婚時に新調された。
アポロンの間に保存されていた6つのオリジナルモデルをもとに鋳造復元されたもの。
鏡の回廊、装飾
鏡の回廊、調度品
鏡の回廊にて
鏡の回廊にて
牛眼の間より、大理石の中庭を望む
牛眼の間、シャンデリア
衛兵の間より
鉛の彫像
大理石の階段(王妃の階段)の2階部分中央にあるルイ14世とマリー・テレーズの結婚を象徴した、金箔付きの鉛の彫像(マスー作)。
2つの反転したLはルイ14世を表している。
商人の間(1792年の間)
ナポレオンの時代以降に改装された部屋
戦史の回廊
497年のトルビアックの戦いから、1809年のヴァグラムの戦いに至る、フランス史上重要な勝利をテーマにした絵画が展示されている。
かつての王族用の居殿を取り壊して作られた。
南翼棟の中庭
正面から見えないせいか、ここはあまり手入れがされていない。
ラトナの泉水
広大なフランス式庭園。奥に見えるのは、1650メートルの「大運河」。
雨が酷くなってきたため、プチ・トリアノンへ足を伸ばすことは諦めた。
この後、早々にヴェルサイユを後にすることになる。
ヴェルサイユ宮殿は、とにかく広い。これだけ大きな建造物を作った昔の王族とその権力は途方もないとしか言いようがない。
なんというか、すべてが途方もなくデカイのだ。圧倒される程華美な装飾が、飽きるまで続く。
それがヴェルサイユ宮殿だ。
サイズ感が違うと言うのだろうか。
日本の繊細な歴史的建造物とは、全く異なる物である。
文化が違うとここまで作るものが違うのかと考えさせられる一時だった。