エトワール凱旋門
2013年10月
エッフェル塔と並ぶパリのシンボル、エトワール凱旋門へ。
モンマルトルから、メトロ2号線を使い20分弱。
エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。ルイ・フィリップの王政復古時代、1836年に完成した。ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時であった。古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。
エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓がある。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツのパリ占領に際してハーケンクロイツが掲げられ、ドイツ軍兵士が凱旋した。
「凱旋」とは「戦いに勝って帰る」という意味だ。
ナポレオンは、幾多の敗北ののち、生きて門をくぐることはなく、第二次大戦では、敵国が凱旋している。
歴史とは皮肉なものである。
1970年にこの場所が「エトワール広場」から「シャルル・ドゴール広場」に改称された時、ようやく本来の意味に近づいたのかもしれない。
シャンゼリゼ通りの西側の始点にある広場である。もともとこの広場はエトワール広場(仏: Place de l’Étoile)と呼ばれていたが、第二次世界大戦にてナチス・ドイツに占領されていたパリを解放したことで知られるシャルル・ド・ゴール将軍(後に大統領)の栄誉をたたえ、1970年にシャルル・ド・ゴール広場と改称された。しかし現在でも「エトワール広場」という名でパリ市民に呼ばれる場合もある。
シャンゼリゼの中心より、エトワール凱旋門
ゆったりとした歩道のシャンゼリゼ通り